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聖シメオン・サールス  St. Simeon Salus            記念日 7月 1日


 シメオンは、29年間シナイの砂漠で苦行の生活を送っていたが、故郷のシリアのエメサへ帰って浮浪者たちの世話をすることを決心した。彼の持論は「真に謙遜になりたければ、屈辱を愛さなければならない」ということであった。それで彼はわざと馬鹿者のように振る舞ったので「サールス」(狂気)というあだ名をつけられた。誰もこういう人を尊敬しなかったが、シメオンが愛した貧しく哀れな人々は、自分たちのようにさげすまれている者として彼を歓迎した。彼が帰天したのは590年頃であった。




 奇人。彼は多くの年月、パレスチナで修道士また隠世修道士として生活した後、自分の生まれた地であるシリアのホムズに行き、民の中の最も惨めで顧みられない者たち、特に売春婦たちの世話をすることに一身を捧げた。社会的に追放された者たちが受けていた軽蔑を共有するために、彼は「狂人」(サールス)というあだ名を付けられるほど奇妙な仕方で振る舞った。もしそれが正確に報告されているとすれば、その行動があまりに風変わりなものになったので、彼が時折、実際に自分の知性を失っていたということは、ありそうなことのように思われる。彼は、ある者たちによって、偽善者のならず者として取り扱われた。しかし、他の者たちは彼を預言者的で聖なる人物と見ていて、最後にはこの意見が優勢となった。

 次の時代では、幾人かの他の苦行者が「キリストのための愚か者」として知られた。彼等は、彼等の非常識な振る舞いと見かけの愚かさによって、意図的に、仲間たちの屈辱と軽蔑を求めた者たちであった。たとえば、彼等は半裸で、あるいは全裸で歩き回った。彼等は、特にロシアにおいては一般的であり、16世紀には一定の社会的影響力を保持し、19世紀にも再び出現した。これらのユーロディヴィ(瘋癲行者)の幾人かは、聖バシリウス(1552年に死去。1580年に列聖、祝祭日は8月2日)のように、ロシア正教会によって列聖された。バジリウスはモスクワの靴職人の徒弟であった。シメオン・サールスと同様に、店から商品から取って、貧困者たちにそれらを与えるのを常としていた。またツァーであった雷帝イワン4世を彼が非難した物語がある。バシリウスは、彼が埋葬されたクレムリンの諸教会の一つに、自分の名を与えている。